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弁護士の日記帳

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賭博罪と競馬の関係

「なんと勝ったのは、2番、2番、2番。大外からグングン差してなんと1着はレッツゴーターキン。そして2着は12番。ムービースター。勝ち時計は…」。

予想外の展開に実況アナウンサーは、勝馬の名前が即座に出てこず、声が上ずっていた。

トウカイテイオー、ライスシャワーなど時の名馬が揃った1992年秋の天皇賞。残り1ハロンで、人気薄の無名馬が大外後方から一気に馬群を差し切ったレースは圧巻だった。

この瞬間、私は176万円の不労所得を得た。 

その後暫くして何となく競馬に対する興味をなくし、以後馬券を購入していないので、トータルで損をしていないことになる。が、馬券の売上げによりJRAが収益を上げ、また国の財政に貢献しているのだから、「損をしていない」というのは極めて稀なケースに違いない。 

 

競馬は、事前に決まっていない結果について財物を賭けるものゆえ賭博罪にいう賭博にあたる。にもかかわらず、競馬をしても賭博罪(刑法185条)や常習賭博罪(刑法186条)に問われないのは、競馬法により正当行為とされているからだ(刑法35条)。 

競馬等の公営ギャンブルは国や地方自治体の貴重な財源として、はたまたファンの娯楽としてそれなりに存在意義はあるのだろうが、はまりこんでしまい破滅してしまう人がいることも事実。仕事柄、生活資金までギャンブルにつぎ込んでしまって一家離散、挙句の果て犯罪に手を染めてしまったという悲劇的なケースに遭遇したこともある。

 

賭博罪の処罰根拠は、判例や通説では、「労働による財産の取得という国民の健全な経済生活の美風を守り、併せて賭博に付随して生じる財産犯などの犯罪の発生を防止するため」と説明されているが、建前にすぎない。

仲間内のトトカルチョや賭麻雀が賭博罪で処罰の対象になるのに、公営ギャンブルは何のお咎めもなし。いくら馬券を買おうが制限はない。

賭博罪の処罰根拠は、「ギャンブルを国の管理下において、公営ギャンブルの収益を確保するため」と説明した方が実情に即しているのではないかと思う。

せめて個人が購入できる馬券の額を制限するなどの対策がとれないものかと思うが、現状では自分でセーブするしかない。

 

偉そうではあるが、勝ち逃げした元競馬ファンから競馬で損をしないためのとっておきの秘訣を伝授したい。

<やればやるほど必ず負けるものだと心得るべし>

<勝ったらすぐに引くべし>

<負けても取り返そうとするべからず>

(横井盛也)

ある破産の現場

以下は全くのフィクションですが、結構リアルなフィクションだと思います。

法律の条文は味気ないですが、法律が適用される現場は、ときにドラマ以上にドラマチックです。

 

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「この会社は破産しました。皆さんは、本日をもって解雇ということになります」。

集まった約50人の従業員を前に淡々と話す弁護士の低い声が会議室に響くと室内の空気が一気に凍りついた。

「1週間前に破産の申立てをしており、本日午後5時に破産開始決定が出ることになっています。裁判所との協議により、取り付け騒ぎを防止するため一部の幹部を除いて本日まで秘密にさせていただいておりました。破産開始決定と同時に私とは別の破産管財人の弁護士が選任され、以後その管財人がすべての事務を執り行うことになります。…」。

 

突然の事態に、みな一様に唖然としていたが、工場作業服に身を包んだ中年男性が「首吊れいうてんのか」と説明を遮ると、会議室は怒号と涙声が交錯する修羅場へと一変した。

「明日からどうやって飯食うてったらええんや」、「5日後に迫っているローンの支払い、どないしたらええんや」……

今にも掴み掛ってきそうな緊迫した雰囲気の中で弁護士は、落ち着き払って「皆さんの気持ちはよくわかります。しかし、やむを得ない措置なのです。事情については詳しく説明させていただきます。質問にも誠心誠意お答えさせていただきます。」と話し、準備していたレジュメを配り始めた。

やり場のない失望に声を荒げる場面、もらい泣きが連鎖する場面など感情の起伏を伴った時間が経過する。

「今月の給料はどうなるのか」、「明日から健康保険は使えるのか」、「ぎりぎりの生活をしているのに1日でも失業すれば食べていけない」、「ローンの支払いに追われている。私も破産だ」、「社長はいくらかでも金を持っているはず。従業員に分け与えるべきではないのか」、「なぜもっと早く知らせてくれなかったのか」……。

弁護士が1つ1つの質問に答えるうち、従業員は徐々に自らの身に突然降りかかった運命を受け入れてゆき、従業員らは互いに別れを惜しみながら、また、将来を励ましあって会社を去って行った。

若く礼儀正しく真面目な工員が、「班長。いろいろと教えていただいてありがとうございました。なかなか仕事が覚えられずに、ご迷惑をおかけしました。」と深々と頭を下げると、いかつい顔をした中年班長が「もうええんや。終わったんや。お互いしっかり生きていこ」と手を握った。両者の目に涙が光った。

 

従業員が去った後の静けさの中で、この日の会計処理、在庫の封鎖、工場の施錠などの処理を終え、社長、工場長、経理担当常務が会社の門を出る。弁護士が門の施錠をし、破産を知らせる貼り紙をすると、それまで感情を押し殺していた三代目社長が、「どうにもならんかったや」と地面に付し、大粒の涙を流した。

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勤めている会社の破産は、一般市民にとって一生に一度遭遇するかどうかといった非日常的な出来事に違いありません。非日常的な出来事にこそ関わっている弁護士にとっては数多くの事件のうちの1件でも、当事者にとっては人生を変える大きな局面であるに違いありません。

現実社会は感情を持った生身の人間が大勢いる大きな世界です。理不尽なことが満ち溢れています。

フロイトは、人が辛い出来事を受け入れるようになるまでには、否認、怒り、悲しみ、絶望、諦め、受容という過程をたどると分析しています。

私は、この分析は、かなりの程度正しいと折に触れ実感しています。

 

突然の災難に打ちひしがれる人たちに寄り添って、その気持ちを汲み取り、冷静かつ適正に支援の手を差し伸べられる弁護士になれるよう精進したいと考えています。

(横井盛也)