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医療における自己決定権

昨年、患者の自己決定権を侵害したとして70万円の支払いを命じる一部敗訴判決を受けたのですが、未だ納得できない思いを引きずっています。

医療機関側の代理人としていくつも医療訴訟をしていますが、一部でも敗訴の判決を受けたのは初めてのことです。

治療に過失はないこと、治療や説明義務と損害の間には因果関係が認められないことについての立証を尽くし、「請求棄却」を確信していただけにショックでした。

 

「説明義務違反により自己決定権を侵害した」。

手術療法と保存療法のいずれの適応でもある症例において患者が手術療法を明確に拒んだために保存療法を行ったという事案で、裁判所は、患者が拒否しても医師は手術療法の方が良い予後が期待されることを何度も説明し説得すべきであったというのです。

医療側に説明義務があることも、患者の自己決定権が尊重されるべきことも当然のことですが、でも、何か釈然としないのです。

 

市民社会の成熟に伴って一人ひとりの自己決定権が尊重される世の中になってきました。それはそれでとても素晴らしいことです。

 

医療訴訟の分野においても、エホバの証人輸血拒否事件の最高裁判決(2000年)以後、急速かつ確実に患者の自己決定権を尊重する傾向が強まっています。

エホバの証人輸血拒否事件は、東京地裁が「生命を救うためにした輸血は、社会的に相当な行為で違法性がない」としたのですが、東京高裁と最高裁は、他に救命手段のない事態に至った場合には輸血するとの方針を説明せずに手術を施行し輸血したことは、患者の自己決定権を侵害するとして医療側に55万円の賠償を命じました。

 

果たして、この最高裁判決は正しいのでしょうか。

輸血をすれば助かるのに輸血を拒否する自己決定権は、自己決定権の自己否定なのではないか、という素朴な疑問が頭から離れないのです。

自己決定権の本質として、自分自身で何かを決定することにその意義があるのであれば、自己決定権の存在自体を脅かす行為が許されてよいのでしょうか。

つまり、死ぬことで当人の自己決定権がその後全く無に帰すような場面において自己決定権が認められてよいのか、ということです。

 

そして、患者の意思を尊重するという美名のもと、医師の良心を酷く傷つけることになりはしないのか、ということを考えるのです。

患者を救おうと日々命を削っている医師が、目の前で死にゆく人を見殺しにすることを強制される理不尽に耐えろと裁判所は言っているようです。

 

患者の自己決定権は大切です。でも、医師の良心や裁量も同様に尊重されるべきだと思うのです。

(横井盛也)

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