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日本国憲法改正について 4

護憲派は、「世界唯一の平和憲法を守ろう」などと主張しますが、悪質なデマとしか言いようがありません。

 

9条1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

 

これと同趣旨の戦争放棄や平和主義は、今や世界中の国々の憲法に謳われています。

今や戦争放棄や平和主義を掲げていない国の憲法を探す方が困難です。

 

そもそもこの9条1項は、

第一次世界大戦後の1928年(昭和3年)に米、英、独、仏、伊、日本といった当時の列強15か国が署名し、のちにソ連など63か国が署名したパリ不戦条約(「戦争抛棄ニ関スル条約」)の第1条

「締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス」

を表現し直したものに過ぎません。

 

国連憲章の第2条にも、

3項「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。」、

4項「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

といった規定があります。

 

戦争放棄や平和主義は、世界中の国々の規範となっており、普通の国の一般的な常識なのです。

 

だから、護憲派が「日本は世界で唯一戦争放棄を謳った憲法を有している」とか、「だからこそ胸を張って世界に平和主義を主張することができる」などというのは、そもそも前提事実を誤認した上での誤った主張です。

護憲派は、正確に「世界で唯一の戦力不保持を定めた憲法を守ろう。」と主張すべきなのです。

 

9条2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 

日本に多大な混乱を引き起こし、国益を損ね続けた世界で唯一の規定です。

果たしてこれを護憲派がいうように自衛権すら否定したものと解釈すべきなのでしょうか、それとも1項の目的を達成するため、つまり国際紛争を解決する戦争遂行目的のための戦力不保持や交戦権の否定を定めたものと解釈すべきなのでしょうか。

 

残念ながら憲法制定当時は、前者だったのだと思います。

マッカーサーは、「日本は危険な国なので、いかなる戦力も持たせてはならない。」と考えたのではないでしょうか。

そして、これを受け入れない以上、日本は独立国家として再起が認められなかったのだと思います。

ドイツが、ナチスを擁護する表現を禁止する憲法を定めなければ独立国家として再起が認められなかった状況とよく似ています。

 

しかしながら、敗戦のトラウマをいつまでも引きずるべきではありません。

固定観念に縛られ続けるのは、国益を損ねるだけです。

個人の正当防衛権を否定できないのと同様に独立国が自らを守る権利は憲法によっても否定できない自然権です。

自衛権を否定するなら、あとは侵略者を呪い殺すしかありません。

元寇のときのように都合よく嵐が吹くとでもいうのでしょうか。

現行憲法66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と武官の存在を前提とした規定となっており、自衛のための戦力を認めた根拠条文と考えることができます。

国連憲章51条も「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と自衛権が自然権であることを認めています。

断じて後者として解釈すべきでしょう。

 

でも、前者か後者かなどといった解釈論議に終止符を打ち、早急に憲法の規定を改正すべきです。

日本は、他の普通の国々と同様、国防軍を持っていても、自国や世界の平和を守るためだけにその力を発揮するよう十分制御できる国になっているのではないでしょうか。

(横井盛也)

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