弁護士のブログ | 横井盛也法律事務所 | 迅速、丁寧、的確な大阪の法律事務所

弁護士の日記帳

ブログトップページ > 横井弁護士 > 元少年Aの手記「絶歌」・神戸連続児童殺傷事件 - 書店の販売自粛と表現の自由

元少年Aの手記「絶歌」・神戸連続児童殺傷事件 - 書店の販売自粛と表現の自由

1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件で当時14歳だった元少年Aの手記「絶歌」(太田出版、1500円)が波紋を呼んでいます。
遺族らの感情に配慮して、書店が販売を自粛したり、図書館が購入や貸出しを見合わせたりする動きが広がっているようです。
入手困難となる前に購入し読んだ感想は、≪違和感を拭えない≫というものです。

 

中学校正門に男児の頭部が置かれ、その口に「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る犯行声明文が挟まれていた――残虐な猟奇殺人に戦慄を覚えたものです。
2人の児童を殺害、3人の児童に重軽傷を負わせた少年はその約1ヶ月に逮捕されますが、その間、地元新聞社に不敵な挑戦状が届くなど異様な展開を見せ、地元住民は恐怖のどん底に叩き落されます。
私は当時、社会部の9年生新聞記者。
逮捕当日、神戸から続々と送られてくる原稿を受稿しながら、被疑者が14歳の少年であったことに大きな衝撃を受けたことを覚えています。

 

どんなに冷酷非情なモンスター、完全無欠の殺人マシーンであっても、法に則って裁きを受け、刑罰や保護処分を終え、更生したのであれば、社会に復帰して平穏に生活する権利があるはずです。
悔い改めた犯罪者の社会復帰や更生を妨げるようなことがあってはいけません。
少年法61条の趣旨は成人にも妥当するはずであり、事件報道は少年に限らずすべて匿名にすべきというのが、私の持論です。
そして、社会復帰したのであれば、手記を書くことも自由だと思います。
表現の自由は、どんなことがあっても守るべき基本的人権の一つです。
書店や図書館は、国民の知る権利に応えるべきであり、販売自粛などすべきではありません。読むかどうかは国民の選択に委ねるべきです。

 

でも、そんな理屈とは裏腹にもやもやとした違和感を禁じ得ないのです。
何か大切なものを冒涜されたような読後の不快感がまとわりついて離れません。

 

事件報道は匿名にすべきです。
でも、社会復帰して自らの意思で手記を出版するのであれば、そのときは堂々と顔と名前を出すべきです。
自らを「元少年A」としながら、被害者や遺族の実名を晒すのは卑怯です。
表現の自由は無制限ではない、といった法的な問題ではなく、道徳的な問題として、そう思うのです。

 

「被害者のご家族の皆様へ」と題したあとがき。
「皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます」、
「本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います」
そんなことを言うくらいなら、出版すべきではありません。
「自己の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、…僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした」
意味不明です。あなたの自己救済など誰も望んでいません。

 

6年5ヶ月間の少年院での生活を終え2004年に社会復帰して既に11年。
もう32歳の立派な大人なのです。

 

社会で平穏に生活する権利を与えられた以上、おとなしく平穏に暮らすべきです。
「元少年A」と自らプライバシーを守りながら、被害者やその家族の平穏を乱すことは許されません。
DSC_0584

 

過去の当ブログです。
http://www.law-yokoi.com/blog/?p=1145

(横井盛也)

 

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ

にほんブログ村
↑↑↑ ポチっ。↑↑↑