弁護士のブログ | 横井盛也法律事務所 | 迅速、丁寧、的確な大阪の法律事務所

弁護士の日記帳

ブログトップページ > アーカイブ > 2013-01

提言② 「医療過誤訴訟」を死語にすべきです

訴訟段階つまり未だ白黒がついていない段階で「医療過誤訴訟」という言葉を使うことは、医療側の過失の存在を連想させるので不適切だと思います。

 

医療をめぐる紛争には、患者側の単なる不平不満であるとか、病気が治らないことを医師の責任と考えているケースとか、重大な結果の発生であっても医療側に全く落ち度がない不可抗力といった事例も多く含まれています。

 

過失の存否の判断は困難を極めます。

最高裁の統計では

http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/804008.pdf

平成23年の医事関係訴訟で患者側の請求が一部でも認容されたのは25.4%、平成22年で20.6%に過ぎません。

判決にまで至った訴訟で、医療側に過失がなかった(=医療過誤でなかった)とされるケースが3/4~4/5を占めるのです。

 

裁判所は「医事関係訴訟」との用語を使っています。

「医療過誤訴訟」の方が一般的によく使われていますが、「医療訴訟」、「医事関係訴訟」といった中立な言葉を使うべきではないでしょうか。

(横井盛也)
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村
↑↑↑ よろしければクリックを。

公務員の駆け込み退職

退職手当を減額する条例の施行前に駆け込み退職する教職員や警察官が多数に上っているようです。

 

数か月早く退職した方が多くの退職手当を貰えて総額で多額になるというのですから、経済学的にみれば3月末の定年を待たずに駆け込み退職するという選択は至極当然で合理的な行動ということになるのでしょう。
現実的な問題として予定していた住宅ローンが返せなくなるなど様々な事情もあるのでしょう。

 

でも、重要な公務を永年勤めあげてきた教職員や警察官としてあまりに切ない去り際です。

 

「年度末まで職務を全うした人が損をするのはおかしい」という批判があるようですが、私はこの批判は当たっていないと思います。

 

<お金を払ってでもやりたいことがその人の天職>。
理想論かもしれません。
でも駆け込み退職する人に問いたいのです。
「これまで天職だと思って仕事をしていたのですか」と。
もし、高額な退職金をあてにして、楽しくもない仕事を続けていたのであれば、それはとても不幸なことです。

 

年度末まで職務を全うすることを選んだ人は、駆け込み退職者よりずっと豊かな人生を送ってきたであろうという意味で決して損はしていないのだと思います。
(横井盛也)

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村
↑↑↑ よろしければクリックを。

法科大学院改革論

法科大学院の評価が芳しくないようです。

法科大学院廃止論、旧司法試験復活論、予備試験拡充論などが台頭していますが、私は、法科大学院改革論者です。

 

法科大学院修了を司法試験の受験資格とすること自体、何の問題もありません。

充実したカリキュラムで法律の本質を学者や実務家らからしっかりと学び、同じ志を持つ学生の間で切磋琢磨することは意義のあることだと思いますし、法曹を目指す者にかかる経験を要求することは決して不当なことではないと思います。

旧司法試験の復活や予備試験の拡充をすれば、かつてのように予備校の論証を丸暗記して知識を吐き出すといった偏った勉強を何年も続ける孤独な受験生を大量に発生させてしまうことでしょう。

 

法曹の質を保障するためには、司法試験の合格者数を絞ればよいのです。

毎年の合格者数が500人の時代と2000人の時代で合格者のレベルが異なることは当然であり、合格者のレベルが下がったのが法科大学院の教育のせいだという議論は成り立ちません。

司法試験(及び2回試験)の合格者数をどの程度にするべきかという議論と法科大学院の存廃の議論をリンクさせる必然性はありません。

法科大学院を存続させても修了認定を厳格に行い、司法試験の合格者数を絞れば、所期のレベルは保てるはずです。

また全員が就職できる(ボスの下で修業が積める)という程度の合格者数に絞れば(さらに給費制を復活させれば)、安心して法科大学院を志望することができ、結果として法曹を目指す者の数も増えると思います。

 

問題は、その法科大学院のありようです。

 

法科大学院の修了認定基準がバラバラで、司法試験受験資格の付与に著しい不平等が生じていることは看過できません。

各校共通の修了認定の基準を例えば「修了者に対する司法試験合格者の割合が何割以上になるレベル」と定め、それに満たない法科大学院の認可を取り消すといった方法で司法試験受験資格の平等化を図る必要があります。

 

また、法科大学院は、法律実務家を養成する場に徹するべきです。

数年間は試験合格を目指して必死になって覚えるべきことを覚え、書いて書いて書きまくるほどの大量の起案をして基礎力をつける時期が必要です。

<合格するまでは合格するための勉強に専念する>といったストイックな環境を提供するのが法科大学院の使命なのではないでしょうか。

法社会学や比較法文化論などといったものは試験後に独学すればよいと思いますし、法曹倫理は合格者を対象に司法研修所で学ばせるべき内容だと思います。M&Aや保険法なども実務についてから学べばよいと思います。

法曹三者の実務で必要なのは、基本的な法律の知識と起案力だというのが実感です。依頼者の言いたいことや考えたことを論理的、説得的に文章化できなければ仕事になりません。

教科書的知識の確認のためのソクラテスメソッド、学生の発表に対する学生間の質疑応答、文章を書くのは試験の時だけ、といった方法を改め、法科大学院は、基礎的な科目の起案中心のカリキュラムに変えるべきです。

 

私は、法科大学院の修了認定を厳格にし、教育内容を基礎科目の起案中心に変えれば、予備試験の拡充や旧司法試験の復活よりずっとよい法曹養成の仕組みが出来上がると確信しています。

(横井盛也)

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村
↑↑↑ よろしければクリックを。

  • コメント (Close): 0
  • トラックバック (Close): 0

マスコミに公表すべきでない

アルジェリアの人質事件で日本人10人を含む多くの人が犠牲になったというニュースは、我々の住む世界がまだまだ安全でないことを実感させるものでした。

最果ての地でプラント建設に尽力しながらテロの凶弾に倒れた人たちの無念さは察するに余りあります。

 

ところで、新聞を読み、テレビニュースを見ても、この事件について、どんな考えの集団が何を目的に起こしたものなのか、背景にはどんな意見の対立や問題があるのかなどがよく理解できません。

まだ、そのような評価をする段階ではないのかもしれませんが、伝えられるのは、何人の死亡が確認されたとか、遺族や知人が深い悲しみに包まれたとか、政府や会社が情報収集に追われているというといったことが中心です。

 

新聞記事の中に「内閣記者会は22日、政府に対して死亡した人の氏名と年齢を公表するよう文書で申し入れた」というものを見つけました。理由として「この事件に対する国民の関心は非常に高い」ということを挙げています。

 

マスコミが公表を迫る時に用いる「国民の関心が高い」という常套句にはいつも辟易とします。

「説明責任」だとか「知る権利」だとかいって、まるで自分たちが国民の代表にでもなったかのようです。

(私もかつて、そのような1人であったことを深く反省しています。)

 

この記事によると、政府は、犠牲者を出した企業「日揮」の要請を踏まえて、被害者の氏名を公表していないとのこと。

私が被害者でも公表はされたくはありませんし、今回犠牲になった人やその家族、関係者の多くも同じ思いなのではないでしょうか。

そして、国民の多くも決して犠牲者の名前や年齢を知りたいと考えてはいないと思います。

マスコミが犠牲者の氏名等を知り、報道することで権力の監視につながるとも思えません。

 

マスコミは、被害者を追い駆け回す過熱取材や怒涛のような過剰報道はやめて、事件の本質を淡々と伝える客観報道に方針転換すべきだと思います。

(横井盛也)
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

↑↑↑ ブログランキングに参加しています。クリックすれば1ポイント。ご協力お願いします。

 

若者に厳しい社会

大学を卒業した1989年(平成元年)はバブルの真っ盛り。

どの会社も就活解禁日に内定者を旅行に連れて行くなどして囲い込みに必死、といった超売り手市場でした。

経済学部出身の私は、将来弁護士になることなど全く想像しておらず、大した思い入れもなく新聞社に入社しました。

様々な業種の面接を受けて多くの誘いをいただき、就職に関して苦労した思い出はありません。

 

最近では、「エントリーシートを出しまくっても面接すら受けさせてもらえない」とか「大学時代の思い出は就職活動」と嘆く若者が多いとのこと。

自立した人生を踏み出そうとする若者世代にとって残酷なことです。

国内産業空洞化や景気後退のしわ寄せを若者世代が受けているということなのでしょう。

 

若者の声をもっと政治に反映させなければなりません。

孫の財布をあてにして借金を重ねるようなシルバー民主主義を打破しなければなりません。

 

公職選挙法9条で選挙権年齢が満20歳と定められていますが、これを早急に改正して18歳に引き下げるべきです。さらには公職に立候補できる被選挙権年齢も引き下げるべきです。

 

ところで、平成19年に成立した「日本国憲法の改正手続きに関する法律」(国民投票法)の3条で

「日本国民で年齢満18年以上の者は、国民投票の投票権を有する」

と定められていることをご存知でしょうか。

 

でも18歳ではないのです。

同法の附則において、公職選挙法の選挙権年齢や民法の成人年齢が改正されるまでは、国民投票の投票権年齢を20歳とすると定められているのです。

 

この法律が出来た頃は、選挙権年齢引下げについての議論が盛んにされていたと思うのですが、すっかり忘れ去られてしまったようです。

若者は社会経験が乏しく精神的に未熟で判断能力が劣るといった反対論に押し切られてしまったのでしょうか。

 

そんなことではいけません。

参政権は国民固有の権利です(現行憲法15条)。

幅広い年齢層の意思を反映させることが真の民主主義につながるはずです。

若者の政治意識を高めることで議会制民主主義の発展にも寄与するはずです。

高齢者に対する支援も必要ですが、若者世代が将来にわたって安心して働き、家族を築いて次世代に希望をつないでいけるような政策を進める必要があるのです。

 

生まれた時代を嘆いているだけでは社会は変わりません。

不遇な若者世代の積極的な政治参加を期待しています。

(横井盛也)
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

↑↑↑ ブログランキングに参加しています。クリックすれば1ポイント。ご協力お願いします。

 

 

次ページへ »