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国家賠償請求訴訟

ある日、全く知らない凶悪事件の犯人として逮捕され、起訴され、ずっと塀の中で無実を晴らすための裁判が8か月。どうやら証言した目撃者たちこそが真犯人らしい。判決は「被告人は無罪」。ドラマのようですが、実際に私が弁護人を務めた事件の実話です。

 

元被告人の依頼を受け、先日、大阪地裁に国家賠償請求訴訟を提起しました。たとえ無罪判決が確定したとしても、元被告人は、心身に多大な苦痛を受けたはずです。2度と冤罪事件を生まないためにも、国の責任を追及し、はっきりと白黒をつけるべきだと考えました。

 

では、誤って起訴した国(検察官)の責任が問えるのでしょうか。違和感なく受け入れられるかどうかは疑問ですが、実務運用の基礎となる最高裁判例は次のように言っています。「刑事事件において無罪の判決が確定したという事実だけで直ちに公訴提起が違法になるということはなく、公訴提起時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証とは異なり、公訴提起時において現に収集された証拠資料及び通常要求される捜査によって収集可能であった証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により公訴を提起し、裁判の結果、有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解され、たとえ無罪になっても公訴提起に違法はないというべきである(昭和53年10月20日最高裁第2小法廷判決、平成元年6月29日同第1小法廷判決)」

 

そして、実際の裁判では、次のように判断されています。「検察官の公訴提起時の証拠の評価が、経験則や論理に照らし、客観的に見て、合理性を欠いているものではないと認められる場合、公訴提起に過失があるとはいえない。その反面、検察官の公訴提起に至った際の証拠の評価が、客観的に見て、合理性を欠いているものと認められる場合は、過失があり、違法となる。」

 

つまり、国家賠償請求訴訟においては、検察官の起訴の際の証拠の評価に合理性があったか否かが争点となります。私は、今回の件では検察官の起訴時の証拠評価は、経験則や論理に反し合理性を欠いていたし、その立証は十分可能であると確信しています。

市民運動などとは縁がなく、初めての行政訴訟。国を相手取って裁判なんて、お上に対する反逆、謀反? いやいやこれもお国のため。全力で闘います。

(横井盛也)